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スリランカ仏教聖地と仏歯寺ペラヘラ祭りの旅を催行(広島営業所)

①蛇使い②イスルムニヤ精舎③スリー・マハー菩提樹④参拝者⑤象のテラス⑦村からの団体参拝⑧シナモン・ロッジ⑰シナモン・ロッジ2⑩シギリヤロック⑫シギリヤロック3⑬シギリヤロック4⑭シギリヤロック5⑮ポロンナルワ1⑯ポロンナルワ2⑱貝葉経⑲キャンディ1⑳キャンディ2㉒ペラヘラ祭り1㉑キャンディ・マーケット㉓ペラヘラ祭り2㉕ペラヘラ祭り4㉔ペラヘラ祭り3㉖ペラヘラ祭り5㉗ピンナルワ㉘国立博物館

  この度も皆様のご支援をいただき、8月22日から6日間の日程でスリランカの旅を催行させていただきました。

 

 広島から羽田経由で成田空港へ移動、スリランカ航空直行便で空路コロンボへ。2度の機内食は、評判良かったように思います。ただ、機内が真冬のように低温ではありました・・・

コロンボ着後、あらかじめ登録しておいたビザ用紙とパスポートを提出して入国。特にビザ取得カウンターがあるわけでもなく、チェックも簡単で、取ってなくても入国できるんじゃないか…と思うくらいスムーズでした。税関もパスポートチェックがなく、とにかくスムーズで気持ち良く入国。

ガイドのサンタさん、ドライバーのドゥミンダさん、アシスタントのチャンドレさんとともに、専用バスでホテル・ゲートウェイへ。左側通行です。

 

スリランカのホテルでは、何処も設備的に苦労することがなく、インドのようにパスポートのチェックなどもなく、チェックインもスムーズ。

チップは100ルピーが目安で、レートは1ルピー=ほぼ1円と、計算も楽でした。

食事は、朝昼晩とも基本がバイキングですが、特に朝晩は料理の種類も豊富で、南国フルーツ満載、デザート専用室などもあり、健康志向も強いように思いました。

バラエティー豊かなフルーツは、ウッドアップルやガルシャバラなど、独特のものも多く、もっと案内できるよう勉強しておけば良かったと後悔しました。

野菜もたっぷりで、ハバラナのシナモンロッジでは、注文に応じてサラダを作ってくれ、女性にも好評でした。

最も辛いカレーはスリランカカレーとも言われますが、インドと同じように豆カレーなど辛味の少ないものもありながら、インドのドライブインでも食べたことがないような凄いのもありました。スパイスだけでなく、フルーツもいっぱい入っているような甘味が強いカレーが多いことも、ナンやチャパティーが中心の北インドと違って、米が主食なのも特徴といえるかも知れません。

その他、スリランカは道路事情も良く(だいたいインドと比較しています)、途中にドライブインも多くて、トイレにもほとんど困りません。トイレは有料だったり、無料だったり曖昧ですが、だいたい20~30ルピーくらい。時々、水が出ないことも。

また、車窓からの風景も南国ムード満点で、ビーチやシギリヤロックを思わせる巨岩地帯、バリ島のような高原の棚田風景など変化に富んでおり、とにかく緑がいっぱいで自然公園の中で過ごしているような癒される島です。

  

2日目、最古の都世界遺産アヌラーダプラでイスルムニヤ精舎、スリー・マハー菩提樹、ルワンウェリ・サーヤ大塔を拝観しました。

 

3日目の朝は、観光のハイライト世界遺産シギリアロックを観光。最初にJICAの支援で2009年に完成したシギリア博物館でトイレを借りましたが、当時の福田康男総理の名前が書かれた看板がありました。バスの乗降場所が違うため、途中で引き返す人が出た場合に道に迷うかと心配しましたが、アシスタント君がずっと付き添ってくれたので安心です。しかし結局、全員が頂上の王宮跡まで到達できました!

午後、世界遺産ポロンナルワ遺跡を見学。夕刻、唯一時間に余裕のある日であるため、希望者のみアユルヴェーダ体験へ。皆さん、2時間コースを選ばれました。ホテルへ帰った皆さんは、待ちきれず添乗員部屋にて0次会。最高のライオンビールでした。

2~3日目は、ハバラナのシナモンロッジに宿泊。初日の夜は懐中電灯が必要なくらいで、森の中に点在する一軒家にそれぞれが帰っていくような面白い作りです。2泊目の朝くらいに、ようやく迷わず帰宅できるようになりました。

 

4日目、最後の都キャンディーへ。途中、シナモンガーデンでスパイスの実演販売。その後、マータレーのアルビハーラを参拝。

すっかり遅い昼食となったため、途中、赤いバナナを購入。また、この日キャンディーはペラヘラ祭り期間中でお酒禁止のため、先に飲んでおこうとの事で、缶ビール、椰子の酒アラックを購入し、車内でいただきました。

 先に本日の宿シナモン・シタデルで荷物を降ろし、市内で昼食。午後はキャンディ・マーケットを散策。キングココナッツの試飲、世界一か?とも思える巨大なバナナ等を購入。その後、ペラヘラ祭りの席を確認。町中は席取りをしているスリランカの人達で大混雑。皆さん、朝から座っているとの事でした。観覧席は幸いにもピザハットの2階で、クーラーの効いた屋内でした。ただし、キャンディ(標高500m)に入ってからは、意外と涼しくはありました。

先に仏歯寺へ参拝。境内には、祭りにでるための象がたくさんいたそうです。

 5時半頃、ピザハットに戻り、休憩。パレードの開始は、今朝のお坊さんの占いによって7時42分に決まったとの事。アイスクリームやピザを食べながら時間を過ごしましたが、さすがに眠くなってきた8時15分頃、ようやくパレードがやって来ました。やがて赤い衣の象が仏歯を安置した容器を背負って現れました。クライマックスかと思いきや、その後もヒンズー教の4人の神様のパレードが続き、終了したのは22時50分頃。

 皆様、放心状態でバスまで戻り、ホテルへ帰ったのは23時過ぎでした。パレード前は6時半頃から道路が封鎖され、終了まで解除されないため、近くのクイーンズホテル等に泊まらない限りは、どうしても長時間の滞在となってしまいます。時間が長すぎるのが難点ですが、さすがに世界的に有名な祭り、圧巻の迫力でした。

 

5日目、ホテルを出発して、丘の上からキャンディ町の全景を写真撮影。

ピンナワラで象の水浴び(午前中は10:00~12:00)を鑑賞。11:30についたので、象の群れが帰っていくところに立ち会えました。

 夕刻、コロンボ市内に入り、博物館を慌ただしく見学して、博物館の売店(ラクサラ博物館店=民芸品や紅茶など品数豊富)で買い物。続いてシナモン・グランドホテルの地下にあるスーパーマーケットで買い物。紅茶も安く、18年物のアラックなども売っていました。アラックは空港の免税店にはなく、スリランカ航空の機内販売で売られていただけなので、欲しい方は早めに買っておかなくてはならないようでした。

レストランで夕食後、空港へ。ガイドのサンタさんとお別れ、ポーターさんに荷物を頼み、チェックインを済ませ、帰国の途へ。

 

 成田着後、空港でゆっくりされる班と、成田山新勝寺を拝観する班に分かれ、待ち時間を過ごしました。成田山門前では、鰻や蕎麦を食べ、日本食の幸せを満喫しました。

 LCC第3ターミナルから、春秋航空で広島へ。無事到着し、ターミナルで解団式を行い解散。おかげさまで、この旅も無事終えることができました。

  

スリランカの歴史や仏教のことを少し勉強してみましたが、日本と共通することがさまざまあり、親近感を持てました。

仏教先輩国のスリランカは、イギリス植民地時代、キリスト教国になりかけたといっても良いくらいで、サンガも一時途絶えたそうですが、意外にも西洋の神智学協会というグループを中心に仏教復興運動が牽引されたそうです。現在、世界共通の『仏旗』も、イギリス植民地時代のスリランカで、この協会主導で考案されたそうです。

ちなみに神智学協会には、禅を海外へ広めたり、浄土真宗の妙好人を取り上げたことで知られる仏教学者・鈴木大拙氏も入会していたそうで、日本仏教界にも少なからず影響を与えているようです。

復興されたスリランカ仏教は、プロテスタントの影響を受けて改革されたため、プロテスタント仏教とも呼ばれ、上座部でありながら大乗仏教的な面も加えられたそうです。そして、仏教復興運動が独立運動と並行して盛り上がっていくなかで、仏教徒であるアイデンティティがナショナリズムと結びついて、他宗教・他民族を排除する方向に向い始め、やがて長い内戦へと至ってしまったことは、世界の仏教徒にとっても教訓となる歴史かと思いました。

しかし、実際に現地を訪れてみると、僧侶による星占いや神仏習合(ヒンズー教との)などが色濃く残っていました。進んでいる反面、原理主義的でもあるプロテスタントとは似つかわしくない、おおらかな、また結構ごちゃまぜな印象を受けましたが…。

昔から、仏教徒だからヒンズー教寺院にはお参りしない、というようなことはなく、一般大衆には特に区別なく、大らかに信仰されていたし、現在もそうなっていることが、アジアの国々を旅行するとわかります。スリランカでは、クリスマスも結構盛り上がるそうで、日本と似ています。

 

他には、ゆるやかながらカースト制度がある仏教国も、珍しいかも知れません。カーストと仏教の共存は微妙ですが、おそらくインドに仏教が残されていたとしても、そうなっていたのでは?とは思います。

世界で“仏教国”と呼んで差し支えない国は、タイ、ミャンマー、ブータン、カンボジア、スリランカ、ラオスくらいでしょうか?あとはヨーロッパにも一つあるそうで、紆余曲折はありましたが、数少ない仏教国の一つが無くならなくて本当に良かったと思います。

※現在のスリランカ仏教は、サンガを復興すべく他の仏教国へ渡った僧侶などによって持ち帰られたタイ派と2つのミャンマー派(アマラプラとマンダレー)の3宗派に分けられるそうです。

 

日本との関係は、サンフランシスコ講和会議で、当時イギリス自治領セイロンのジャヤワルダナ財務相が“恨みは恨みを捨ててこそ止むことが永遠の真理”と法句経を引用して、日本に対する賠償請求権を放棄したそうで、日本人はやはり感謝しなくてはなりません。

日本人にほとんど知れ渡っていないというのは残念で、私自身も数年前まで知りませんでした。

財務相のスピーチは、5日間の会議の3日目になされたそうで、一説にはそのスピーチが日本分割案を押し留めたという見方もあるそうです。しかし、その2日後に講和条約が結ばれ、続いて数時間後には当時の吉田首相が日米安保条約と現在でいう地位協定に署名していて、冷戦まっただ中の当時、日本の役割は反共の砦と位置付けられていたことを考えると、実際、どこまでどうだったのかということは、今日の庶民にはとても計り知ることはできませんが。

 

どちらにしても、スリランカという日本とご縁の深い小さな島国は、末永く友好関係を築いていきたい国ではないでしょうか。

  

 緑豊かなスリランカの美しさに魅了された方、インドと比べて刺激が物足りないと感じた方、いろいろでしたが、皆様を通じて、日本ともご縁の深いスリランカの魅力が広島の皆さんに広がっていきますよう願っております。

 有り難うございました。またご一緒できますよう、願っております。

    

   添乗員 佐古田寛太